「そーれ それ それ お祭りだ!」という事で、今年も新城各地神社例大祭の季節がやってきました。
自称「粋でいなせな町衆」を自負し「能」と「花火」をこよなく愛する自分は、仕事も手につかない始末である、困ったものです。トホホ・・・
このまちの多くの家庭でそんなことを繰り返しながら、今年も「富永神社例大祭」は、厳かに神事・奉納行事がおこなわれるのである。
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テナコトデ、今回のエッセイは奥三河地方最大の「富永神社例大祭」のお話。
そもそも富永神社の創建は、慶長8年(1603)、下平井村の天一天王社の分霊を当村へ勧請し、若宮として崇敬したのが創めで、昔は「牛頭天王者(天王様)」と称し、祭神は須左之男命(すさのおのみこと)である。
尚祭礼行事をはっきりと制定したのは寛文4年(1664)のことである。
話はそれるが、ここで一つの疑問が!
巷でよく「富永神社の神様は女の神様!?」といった話を聞き、自身も物心つくまではそう思ってきたこともある。
なぜなら今でも、神輿渡御(みこしとぎょ)が静々と行われ(男の神様の場合はケンカ神輿の場合が普通)、奉納花火においても女性を特に嫌っている。
そんな事実もあるが、実際には男の神様である。
ではなぜこのようなかたちで例大祭が行われているか?
境内内の大神社の御祭神が天照大御神(あまてらすおおみかみ)のためであるのか、果たして他に理由があるのか、例大祭における神事・奉納行事において判然としない部分があるのは、ちょっぴりミステリーであり、またそれはそれで結構なことかと思う。
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話を戻してここで例大祭における奉納行事の話を。
各町内において「稚児の舞」「浦安の舞」「笹踊り」「神楽の舞」「雅楽」など氏子が連綿と受け継がれ伝統を守ってきた神事が多数あるが、とりわけ有名なのは優美な「能・狂言」と勇壮な「手筒花火」である。
能・狂言は、町方のものとしては全国的に見ても稀有な存在であり、伝統文化を大切にする市民の象徴ともいえる存在である。(東名高速で新城市に入った看板に能面が描かれているのはこういった理由から。)
また近年は能舞台に女性があがることが許可され、いっそう華やかになっています。(話は長くなるので書きませんが、能舞台に女性が上がれることになったのは、今はやりのわけのわからないジェンダーフリーからではありません、念のため。)
自分も小学生時代に能を舞っていたのであるが、途中中座し昨年よりまた復活しました。まだ地謡の正座が苦痛の修行中の身ですが、たまには浮世離れした幽玄の世界もいいものです。
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写真提供:新城薪能社 |
次に手筒花火。
なぜ有名なのかというと、神社境内において同時に8本もの手筒花火があがる神社は稀であり、その迫力は観に来ていただければ一目瞭然です。
尚まちの多くの氏子の若衆は花火が好きで、8月下旬より準備に入り現在手筒花火づくりの真最中。
今年ももうすぐ勇壮な「やぐら」と「手筒花火」が見られるはずです。
自分も今年は厄年という事で、手筒花火を奉納する予定です。(くれぐれも怪我のないように!)
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最後に自分はこのように伝統文化が根づいているまちが好きであり、受け継ぎ守っていくのは氏子に生まれた使命かと思う。
例大祭は今後も時代にあったかたちに若干は変化していくかと思うが、その心意気と粋は無くさないでほしいものです。
あくまでも、粋でいなせで颯爽と・・・ |